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  • 2000.01.07
  • 式神~第一章~④

    「『機関』からの報告書が来たわ。内容は私が遭遇した通りのことを書いてあるだけだけど。でも収穫はあるわ。魔力の波長を解析してある。これならダウジングや姫の魔力感知を使えば犯人の居所を割り出すことができる」
     凛は封筒に収められた書類を床に広げその前に座って詳しくその内容を調べていた。
     その様子を姫はつまらなそうに見ていた。
    「タイミングが少し遅かったけど……これでこの事件も解決ね。また平和な毎日が戻ってくるわ」
     姫は庭のほうを見ていた。
     この百数十年、外の世界も中の世界も変わったことは一度もない。
    「最悪の場合、姫にも手伝ってもらうわよ、まあ今回は私一人でなんとかなるだろうけど」
     契約を結び、鞍馬の血と地を守ってきた。
     ただそれだけの日々を思い出す。
    「ちょっと、聞いてるの?」
    「聞いておる。口うるさい小娘じゃ」
     姫は不機嫌そうにやっと口を開いた。
     秀人が出て行ってからずっと凛の話を聞いている様子はなかった。ただ呆然と変わるはずのない風景を眺め、時折少しさめた紅茶を飲み干すばかりだった。
    「妾(わらわ)に出番がないなら主(ぬし)の話を聞いておく必要もないと思うがの」
    「馬鹿なこと言わないで。魔術師同士の戦いで絶対はないのよ。常に最悪に状況に対する準備はしておくべきだわ。それが魔術師よ」
    「魔術師とはずいぶんと臆病なのじゃな」
    「臆病で結構よ。魔術師の才能は魔力、明晰、危険回避の三つだもの。その結果が臆病というレッテルなら甘んじて受けるわ」
     姫は再び小さくため息をつくともう一度外の風景に目線を戻した。
     しかしそれは先ほどまでの凛を無視するような様子ではなく、先を進めるためのものだと凛は理解した。
    「今回の相手はその魔術様式も見えてる。人形の傀儡。おそらくそれ一本のみ。これが意味するところは……」
    「教育を受けた生粋の魔術師ではなく、偶然に才能に目覚めさせてしまった哀れな一般人、ということかの」
     姫に最後の言葉を取られても凛は怒りを覚えなかった。いつも飄々とした姫がやっと真面目に自分に協力する気になってくれた証だろうとむしろ気分よくそれを受け入れる。
    「原因は不明だけどおそらくそのとおりね。もしきちんと魔術を習得した人間ならあんな無防備な場所で派手な殺人は犯さない」
     陰惨な殺人現場を思い出す。魔術において血液は非常に重要な媒介であることは凛は当然理解しているが、あそこで流されたそれは明らかに不要なものである。
     あれは魔術のための流血とはいえない。
    「魔術師はあくまで研究者であり、異常者ではない。自分の研究に殺人が必要不可欠な要素であったとしてももっと回りにばれないように細心の注意を払うわ。しかし今回の犯人はその犯行を隠そうとする素振りが見当たらない」
     姫は横目で凛を見ながら理由は?と先を続かせた。
    「考えられる理由は二つ。ひとつは魔術師としての常識、『機関』に命を狙われるということの重要性を理解していない。二つ目はそれまで開放されていなかった自身の力に溺れ酔っている。もしくはその両方か……。いずれにしろこんな幼稚な犯行は魔術師の所業とは言えないわね」
    「しかし、その幼稚な所業を官憲も主(ぬし)も見抜くことはできなかったようじゃが?」
    「幼稚だから見抜けないこともあるわ。私はあくまで魔術師の常識に照らし合わせて犯人を追跡しようとした。私が気づかないほど高度な人除けの結界でも展開してるのかと思ったら何のこともないわね。犯人自身は現場にいなくてそれを行っているのは傀儡の人形。当然指紋なんか残るわけないし、髪の毛が落ちていたところでナイロンの人口繊維。警察がそれを人形の頭髪だと解析できたとしてそれと事件の関連を結びつけることはまず不可能。幼稚な犯行ではある、けど今回はものの見事にその幼稚さが型にはまっていまだ捕まっていないってわけね」
    「よろしい」
     姫は短くそう答えて残り少ない紅茶を飲み干した。
     姫と凛はそもそもの生きた年月に圧倒的な差がある。それはそのまま経験値の差といっていい。
     よって、時として姫は鞍馬の魔術師にとって師と呼べる存在となる。
    「鞍馬の責務はこの地において妖による不要な被害を出さぬことじゃ。昔はそれ相応の身分の元に生まれたものであっても支配欲などの俗世の欲に駆られてその外法を振るうやからもいたが現代においてそれは稀じゃ。むしろ今回のような突発的な事件のほうが多い。外法者の論理を当てはめるのはよいがそれだけに頼ってはならぬ」
     凛はうん、と答えながら今この状況を自身の心に刻んでいく。
     まだ魔術師としても鞍馬の地の守護者としても、『機関』の構成員としても未熟だと痛いほどわかっているからこそひとつの事件から多くのことを学ばなければならない。
    「問題は、犯人が今日も動いてくれるかどうか、ってことね。動いてくれないことには探知のしようがないわ。昨日の今日だし、しばらく潜伏するかもね。最悪の場合どこか別の場所に逃げてしまうかもしれないし」
    「うむ。今回の下種はどうも臆病者のようじゃからな」
    「臆病? 慎重ではなくて?」
    「わからぬか? 事件の初期こそ大人しいものであったがだんだんとそのやり口に変化がでてきていることに」
     口の元に手を当てて凛は考えた。
     確かに初期の段階に比べると後半はだんだんと手馴れてきている。一部の死体はまるで現代美術の彫刻を作るように解体した人間の体を配置している。
     しかし、それと臆病がどうしてつながるのだろうか?
    「よいか、手馴れてきていることも確かじゃがなによりも下種は味をしめたのじゃ。ここまでならしてもばれないという一線を模索しておった。そしてその一線をある程度把握すると一気に犯行が派手になった。慎重なものはこのような行動はせぬ」
    「あ……そうか……もし慎重なら最初から最後まで同じやり口で淡々と犯行を重ねるだけのはず……」
    「そうじゃ。仮に殺人を芸術に見立てているのなら最初からそのように派手な犯行を行っておる」
    「でもそれをしなかったのは一線を探していたから……そして手ごたえを掴んだ……つまり、自己顕示欲……?」
    「よい思考じゃ。これは殺人が目的ではない。殺人は手段であって目的はほかにある。しかし殺人を重ねるうちに本来の目的から外れた自己顕示欲が生まれた。その結果が主の言う無残な死体じゃ。しかしそれだけではない。下種は一度主(ぬし)に遭遇して手痛い返り討ちに会っておる。このとき、彼奴は他にも手勢がいたにもかかわらず一体が倒れただけで即座に引いた。慎重な身の引き方、と取れないこともないがそれ以上に妾(わらわ)には犬に手をかまれて慌てて手を引っ込めたようにしか見えぬ」
     自身のことを犬と表現された凛としては少々釈然としないものがあったが確かにそう考えることもできる。
    「臆病な者はときとしてこちらの考えも及ばぬ行為に手を染める。よいか、凛。真に警戒すべきは勇敢なものでも狡猾なものでもない。臆病な者じゃ」
     二人の会話に割って入るように鈴の音が頭の中に響いた。
     それは本当に鳴った音ではなく屋敷の周囲に施した結界に侵入者が引っかかったことを示す音だった。
    「姫!」
    「侵入者か、人ではないな」
    「姫はここで待機。最悪この庵に逃げ込むからここで応戦。いいわね?」
     凛は答えを聞かずに庵を飛び出した。
     後に残された姫はやれやれとため息をつくと空になったカップに冷めた紅茶を注いだ。
     侵入者は道路から塀を越えて敷地内に侵入すると屋敷の正門と正面玄関をつなぐ道に陣取っているいるようだ。
     魔術師の自宅とはそれ自体が要塞と同義である。にもかかわらずここまで堂々と侵入してくるとは。
     素早く手袋をはめると臨戦態勢に入る。
     今向かっている正門の小道にいる一体以外には気配を感じないがどこに潜伏しているかわからない。周囲に注意を払いながらゆっくりと侵入者のほうに近づく。
     予想通りそれは一体の人形だった。
     くるくると月明かりに照らされて踊るさまは童話の中に出てくればほほえましい一ページなのだろうが、現実の世界では異質なものでしかない。
     その人形は凛の姿に気づくとちょこんとかわいらしくお辞儀をしてきた。
     油断はできない。
     人形はその小さな背中に背負っていた何かをおろすと無造作に凛のほうに投げてよこした。
     凛は咄嗟に後ろに飛びのいたが、危険なものではないようだ。
     それはただ硬い音を立てて地面に転がった。
     それは携帯電話だった。
     しかもこの形は見たことがあ――――――
     突然けたたましく携帯が音を立てた。
     この音も聞いたことがある。
     携帯を投げてよこした人形は携帯の着信音に慌てて笑うようなしぐさをしている。
     その間ずっと携帯はなり続けている。
     出ろ、ということか……?
     警戒心を解くことはできないが、しかしこのまま携帯がなり続けるのを黙って見ているだけでは意味がない。
     恐る恐る携帯をとり、それを開く。
     ディスプレイには非通知設定された旨を表す表示が出ている。
     凛は通話ボタンを押した。
     クスクス……くすくす……クスクス……くすくす……
     電話の向こうでは何人もの少女が忍び笑いをしているような音が聞こえた。
     不気味以外の何者でもない。
     目の前にいる人形は電話の向こうの笑い声に合わせてゆらゆらと揺れている。
    「りーんーちゃん、あーそーぼー」
     幼い印象の少女の声。
     どこか舌足らずで甘えた印象をあたえるその声は母性本能をくすぐられる。
    「ふざけないで。あなた、だれ? これはどういうつもり?」
     凛は冷たく突き放した声でささやいた。
    「りーんーちゃん、あーそーぼー」
     少女たちの忍び笑いをBGMに電話の主は同じ言葉をもう一度繰り返した。
    「ふざけるなっていってるでしょ! 今すぐ私ところに来なさい、そうすればまたもとの日常に戻れるかもしれな――――――」
    「……た……す……け……て……」
     ドクン!
     心臓が嫌な動き方をした。
     BGMは相変わらず少女の忍び笑いだが、電話から発せられた声は不鮮明ではあったが男性のもの。
     しかも、この携帯は――――――
    「人質ってわけ……あんた……秀人を……」
     手に持った携帯がひしゃげるのではないかという勢いで強く掴んだ。
     そう、いつも秀人はこの携帯を使っていた。
     凛の家であまりに長居をしていると実家から電話がかかってきて慌てて帰っていってたっけ。
     携帯からは今もなお途切れることなく笑い声が木霊している。
    「……りーんーちゃん、あーそーぼー」
     不愉快な音の羅列。
     そうか、こいつはそうなのか。
     この電話の向こうにいる女はよりにもよって私の領域を犯したのか。
     ならば――――――
    「いいわ、遊んであげる――――――」
     笑い声が止んだ。
     そして。
    「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
     ブツン……プープープー…………
     子供がお腹を抱えて暴れるように笑う声を残して携帯は犯人と凛のつながりを切った。
     目線を前に戻すと携帯を運んできた人形の姿はすでになく、人形がいたであろう場所には小石に挟まれた一枚の紙切れだけが残っていた。
     凛はその紙切れを手に取るとまるで何事もなかったかのように姫が待つ庵へと引き返していった。
     月明かりがC市を白く照らしている。
     その一角にある魔術師の館だけが主の激情のままに赤く揺らめいていた。

     今夜のC市はいつにも増してその静けさが目立っていた。特に普段なら人の往来の多い繁華街における静けさは異常だった。
     それは廃墟というよりも、時間そのものが止まったような静けさ。人々がおびえ息を殺して潜むように、C市の空気も何か巨大なものの不興を買わないように必死に息を殺しているようだ。
     そんな閑散とした雑居ビル群の中をゆっくりと、しかししっかりとした足音が響き渡る。
     地面を打ち鳴らす影は少女。
     白い月が映し出すその姿は月の光の妖精のよう。
     ほっそりと脚は折れそうな儚さを、響く足音は力強さを。
     すらりと伸びた腕は美しさを、その先端に備えられた漆黒の布からは禍々しさを。
     目は前を見据え、振り返ることなく、空の星々よりなおまばゆく輝く。
     凛は人形が残した紙片に書かれた住所と地図を頼りにひとつの雑居ビルの前に立った。
     クサカベ第四ビル。
     五階建てのさほど高くもないビルの先端に月がかかっている。
     指定されたその場所を前にしても凛の表情は変わらない。
     普通ならロックがかかっているであろうビルの扉はすでに大きく開け放たれており、その様子はあたかもすべてを飲み込む魔物の顎のようでもある。
     その先にある闇は深く、そしてひどく血の匂いが染み付いていた。
     しかし、凛はそのおどろおどろしい風景にも何一つ動じることなく、ビルの中へ入る。
     入るとひとりでに扉が閉じられた。おそらく外に配置しておいた人形が閉めたのだろう。
     すぐ目の前には凛の邸宅まで来たのとはまた別の人形が手のひらに明かりのついた蝋燭を載せて不自然な姿勢でぺこりとお辞儀してきた。
     そのまま奥へと踊るように誘うようにするすると消えていく。
     凛は慌てることなくその蝋燭の光を追いかけて歩き出した。
     蝋燭の火はまるで鬼火か何かのようにゆらゆら揺れながら階段を上り始めた。そのすぐそばに固まった笑顔をたたえた美しい人口の顔が微笑み、凛を見下している。
     やがて人形は階段から廊下へとすり抜けていき、ひとつの安っぽいドアの前で止まった。
     人形はこの先へ、と言わんばかりに廊下の脇によけている。
     凛は無感動に人形を一瞥するとドアノブを握り、そのまま躊躇なくそれをひねって部屋の中へと入っていった。
     そこは狭い雑居ビルの中ではかなり広い部屋のようだった。ただ部屋に置かれた背の高いステンレスの棚や、生首のように転がされたマネキンの首が置かれて奥のほうを見通すことができない。倉庫として使われ、ろくに整理もされていない部屋は当然掃除されることもなくずいぶんと埃っぽい。天井のすみには大きな蜘蛛の巣も張っている。
     迷路の壁のように立ちふさがる棚やダンボールの箱で作られた狭い通路奥へと進む。
     そして、部屋の最奥は。
     一面人形に埋め尽くされていた。
     そこだけは余計な棚などは壁の際に押しやられ、かなり広いスペースがとってあった。
     その棚の上に大小さまざまな人形が安置してある。中にはマネキンのようなかなり大きなものまで置いてあった。
     そのすべての無機質な目が一斉に自分をを凝視しているように凛が感じたのは思い過ごしだったのだろうか?
     部屋の中心にはひとつの豪奢な椅子が置いてあった。おそらくアンティークかなにかのかなり豪華なものなのだろう。
     その大きな椅子の中で少女はニコニコと膝の上に載せた人形の人口の髪に優しく櫛を通していた。
    「ミーナ? 気持ちいい? 髪の毛きれいになったね。ますますかわいくなったね」
     少女は侵入者である凛が入ってきたことに何の反応を見せずに人形に話しかけていた。
    「そっか~、うれしいか~。ミーナがうれしいと私もうれしいな……」
     人形を抱きしめる少女の姿は一枚の絵画のように無邪気で美しく、しかしその目は凛の手の先よりなお一層暗く光っている。
    「でもね……ミーナ……私悲しいの……お友達がね……ううん、あんな女もう友達じゃない……薄汚い雌犬がね……私の大事な……大事な……とっても大好きな人を奪っていったの……ひどいでしょ……? ひどいでしょ……?」
     少女はゆっくりと人形の目線とともに自身の目を凛の方へと目をむける。
     凛の星色の目と。
     少女、日下部レナの闇色の目が。
     真っ向からぶつかる。
    「こんばんは、日下部さん。こんな素敵な舞踏会場に呼んでいただいて、私、感激で泣きそうだわ」
    「見て……ミーナ……あの女がね……私の大事な人を奪ったの……」
     レナの目はもはや人形のミーナを見ていない。
     その目の中にどこまでも落ち込んでいく闇をたたえて、目の前の凛を見つめながら、言葉だけを人形へと投げかける。
    「日下部さん、秀人はどこ? 今すぐ出しなさい。そして『機関』の保護下に大人しく入りなさい。そうすれば今回の事件に対する罰は相当に軽くな……」
    「うるさい!!」
     レナは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると胸元に抱いていた人形を凛に向かって投げつけた。人形は凛の足元で跳ね返ってあてずっぽうな方向へと飛んでいき、壁の棚にぶつかることで止まった。
    「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!! 凛ちゃんに何がわかるの? 美人で頭もよくてみんなからちやほやされてそれらを当然のように思ってる凛ちゃんに何が? 何が?! 何が??!!」
     レナは癇癪を起こした子供のように髪の毛をかきむしり歯をむき出しにして、口角からは唾液の飛まつを飛ばしてそのか弱い体で自身の持ちうるすべて暴力を体現する。
    「私には凛ちゃんの持ってるものは何一つ持ってない! 高校に入るまで毎日のようにいじめられた! 誰も守ろうとしてくれなかった! 優しくしたら不気味だって言われて殴られた! 一生懸命笑ったら気持ち悪いって言ってけり倒された! 毎日便器の水に顔を浸けられて溺れそうにもなった! そんなことしても誰も笑わなかった! ただ化け物をみるような目で見て私を傷つけるだけ! 両親ですら救いの手を差し伸べようともしなかった!」
     荒い息を野獣のように吐き出すさまは学校でみる物静かで恥ずかしがり屋で気の弱い、だけどとても可憐な日下部レナの姿からは想像することもできない姿だった。
    「……だから……だから……うれしかったの……凛ちゃんが……文香ちゃんが……私に声をかけてくれて……クラスのみんなが怖くて怖くて……誰とも話せない私に……私なんかに……私みたいなのを……友達として接してくれた……それが私の誇りだった……」
     埃が厚く降り積もった床にぺたんと腰から崩れ落ちるようにレナがうずくまるとその肩が、腰が、髪の毛の先に至るまで嗚咽とともに震えている。
     レナのそんな姿を見て、覚悟を決めてきた凛の心も揺れ動く。レナを抱きしめようと今にも走り出しそうなその体を凛は自身の唇を血がにじむほどにかみ締めることで耐えた。
    「……ひっく……凛ちゃんと文香……っ……ちゃんだけが私の……誇りだったのに……なんで……? なんで……? なんで……凛ちゃんが……あの人を……私から奪うの……? 凛ちゃんと文香ちゃんが私のたった一つの誇りだったように……あの人は……あの人は……私のたった一つの……唯一の……宝物なのに……一番……愛しい人なのに……」
     涙が零れ落ちると、地面に広がる埃がじっとりと湿ってさらに地面へと沈み込んでいく。
     レナはゆっくりと顔を上げた。
     その涙に濡れた目には先ほどまでの深い闇色はない。
     ただその目が凛に語りかける言葉は二つだけ。
     どうして?
     そして――――――
     凛は必死に自分の心に蓋をする。
     今、私は凛として来ているのではない。
     携帯でレナの声を聞いたときから覚悟していたではないか?
     もし、本当に、自分の目の前に立ちふさがるのが彼女なら、それすら踏み越えると。
    「どうして……? どうして凛ちゃんが……さわ――」
    「関係ないわ」
     凛の声は凛自身が驚くほど冷たく部屋に響いた。
    「関係ない。今の私にとって、あなたの過去は関係ない。加えて、彼も関係ない。私はただあなたを止めにきただけ。もう一度いうわ、日下部さん。投降しなさい」
     レナは最初凛の言葉が理解できないようにすべての動きを止めていた。
     それはまるで彼女が人形になったかのようだった。
     ゆっくり、じっくり、悪い毒が回るようにレナの瞳から光が消えていく。
     跡に残ったのは塩分をいくらか含んだレナの透明な体液がほほの皮膚に付着しているだけ。それすらも、人としての最後の欠片とともに地面へと流れ落ちた。
    「日下部さん、もう一度言うわ。投降しなさい。そして犯した罪を償いなさい。あなたの罪は一生きえないかも知れないけどそれでも――」
    「もう……いいや……」
     糸で吊り上げられたマリオネットのごとくレナの体は不自然に浮き上がるように身を起こしておぼつかない足取りで先ほど投げ捨てたミーナを拾い上げた。
    「ごめんね……? ミーナ……ひどいことして……でももう大丈夫……レナね……やっとわかったんだ……レナの友達はミーナだけ……」
     レナはミーナの頭を押しつぶさんばかりの力で抱きしめる。それは人形に縋りつく以外に自分を保つ術を失った子供の姿。
    「ミーナがいて……あの人がいれば……」
     レナは顔を動かすことなく目線だけで凛を捉えた。
    「凛ちゃんはもういらない」
     部屋の壁を覆うおびただしい数の人形たちが一斉に動き出した。
     それぞれ見えないように隠していた獲物を引きずり出す。小さなものは縫い針から大きなものはさびたのこぎりまで。
     予想していたことだが退路はどこにもない。
     この部屋に入ってきた扉はがらくたの壁に阻まれて遥か向こう。もしそこまで運よくたどり着いたとしてもおそらく厳重に鍵をかけられていることだろう。
     袋の中のねずみとはまさしくこのことだろう。
     人形たちはレナからの命令を待ちながら焦れたように揺れている。その口元からは携帯から聞こえていた少女たちの忍び笑いが部屋の中にこだましている。
     室内の中で反響する笑い声はオーケストラの大音響にも負けない勢いで響く。
     それは死へ誘う鎮魂歌か、それとも己の不幸を嘆く悲恋歌か。
    「ばいばい……凛ちゃん……」
     レナは可憐に、無邪気に、美しく、そして無機質な人形のように微笑んだ。
     人形たちは一斉に凶器を振り上げ、凛に向かって殺到する。
     それは時間にして本当に刹那の瞬間。
     人形たちの飛び掛る速度は人間には決して実現不能の神速をもって虚空を走る。
     しかし、レナはその虚ろな意識の向こうではっきりと聞いた。

    「我空想す、」

     凛の口からつむぎだされる言の葉は簡潔にして明朗。
     この世の論理法則流れのすべてを、凍結させるそれは魔法の言葉。

    「故に汝存在り」

     大気が焼ける匂い。
     地面にはいかづちが逃げ場のを失った力となって疾走する。
     凛の一歩前の空間がゆがんだ。
     空間は甲高い悲鳴を上げてその身を内側へとねじりながらありもしない道をつなげる。
     その穴からあふれる芳しく、心惑わされる神秘の香。
     引きずるほどに長くたなびく漆黒の黒髪。
     対する肌は病的なまでに白く、その細すぎる腕はガラス細工の儚さとをたたえながら、しかし死神のそれと同質の畏怖を与える。
     人形たちは一体たりとも凛に到達することができない。
     その前に払われた死神の腕(かいな)によって、音もなくはじけとび、その内側で脈動する屍肉をぶちまける。
     しかし穢れたそれらは一人の魔術師と、その従者の身を汚すことさえできなかった。
     襲い掛かったすべての壊れた人形が自然落下によって地面に叩きつけられる音を聞いて初めて、レナはその存在を認めることができた。
    「汚らしい、下種の傀儡ではせん無きこととはいえ不快じゃ」
     狭い埃だらけの雑居ビルに降り立つは異形。
     その見目麗しい眉を寄せて口元に着物の布を寄せる。
    「あなた……なに……?」
     レナは初めて怯えた。
     凛一人と対峙したときには、何の危機感も持っていなかった。地の利も、圧倒的な物量も、そして切り札たる彼も、すべて掌握した自分が凛に負けるなどとは露ほども考えていなかった。
     あるいは、数週間前の彼女なら、このような恐怖は感じなかったかもしれない。
     なぜなら、その存在を理解できないから。
     しかし、今は理解できる。できてしまう。
     彼我の力の差を、その存在がいかに危険なものかを、その圧倒的な力を。
     理解できているはずなのに自分の物差しでそれを否定してしまう。
     いるはずがない。

     コンナモノガイテイイワケガナイ。

    「ご苦労様、姫」
     凛は自分が呼び出した従順なる相棒に声をかけ、その労をねぎらった。
    「レナははじめましてよね。紹介するわ。代々この鞍馬の地を守護せし鞍馬家における秘奥の式神、鬼姫よ」
     鬼姫はつまらないものを見下すようにレナを一瞥するだけでまったく興味を失ったように目線をそらした。
     レナはそんな侮辱を受けても返すことができない。
     鬼姫にはあらゆる理不尽を許される何かがある。
     そう感じてしまったからだ。
    「日下部さん、わかったでしょ? 鬼神の末裔たる鬼姫にはあなたでは勝てない。おねがいだから投降――」
    「どうして……?」
     レナは思わず最初に凛に投げかけた質問と同じ言葉を口にしていた。
    「どうして……凛ちゃんは私にないものばかり持っているの……? どうして私には何もないの……?」
    「………………」
     凛は答えなかった。
    「どうして……? どうして……? どうして……?」
     レナは震える全身を無理やりに立ち上がらせると明らかな敵意を向けてきた。
     狂ったように暴れたときとも、無感動に凛を始末しようとしたときとも違う明確な敵意。
    「……死ね……」
     それはやがて明確な呪いの言葉としてレナの口から漏れ出す。
    「……死ね……死ね……死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね――――死ねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
     自ら張り上げる声で自身の喉を引き裂きながらレナが絶叫を上げると、部屋中の人形が一斉に凛と鬼姫に襲い掛かった。それは人形と凶器の洪水といってもいい勢いを伴って二人の女へと殺到する。
     窓は外から人形によって蹴破られ、さらに多くの人形が室内にあふれ出す。
     人形たちの特攻を鬼姫は先ほどと同じように無造作に振り払う。
     その隙にレナは一番奥にあった窓へと必死に走り寄るとなんとそのまま外へ飛び出した。ここはビルの五階、そんなところから飛び降りて無事で済むわけがない。
    「姫! 道を開いて!」
     凛に応えて鬼姫は凛と窓を結ぶ直線状にいる人形たちに向かって腕を振るう。人形たちは不可視の力によって地面に叩きつけられ、そこら中で盛大に赤いものをぶちまけた。
     凛が窓に向かって走り出すと、鬼姫はその身を庇うように後に続き、襲い来る人形たちの攻撃から凛を守り、腕が振るわれるたびに新たな人形の死体が生まれていく。
     凛が窓から下を見下ろすとレナは一階分低くなった隣のビルに降り立ち、その中へ入ろうと非常用の扉の鍵を開けようとしていた。
     ビルの間には路地と呼べるほどの隙間もなく、運動音痴の彼女でも何とか飛び移ることができたのだろう。
    「姫! 私は日下部レナを追う! あなたはここで人形を迎撃! 全滅させなさい!」
    「一人で追うつもりか? いささか危険ではないか?」
     凛はすでに窓の枠に乗って今すぐにでも飛び出せる状態にある。
     鬼姫はそんな凛を背に無数に光る赤い人形の目と対峙する。
    「レナの残りの人形はおそらく腕に抱いていた一体だけのはずよ。むしろここにいる人形が一体でも生き残って街に流出するほうがまずい!」
    「ならば自分の身はせいぜい自分で守ることじゃ。このような玩具を壊すことぐらいならばどうということはないがこれだけの数じゃ、少々骨が折れるやもしれん」
     凛は無言でうなずくとそのまま隣のビルへと飛び降りた。
     その背中を見送ってから部屋の中を睥睨する。
     なんと汚らしく、下賎で、とるに足らぬもの共か。
    「妾(わらわ)も人形遊びなどという歳ではないのだがのう」
     無数に光る赤い目よりなお赤く濡れる唇が不適な笑みに歪む。
    「主(あるじ)の命じゃ、遊んでやる、玩具共」
     襲い掛かる人形は、それでもただの一度も鬼神の姫を穢すことすらできなかった。

     重力制御、肉体強化、力のベクトル制御――――――
     それらは凛が大きくなって独学で取り入れた西洋魔術だった。
     本来なら十階以上のビルから飛び降りても怪我することなく地面に降り立つことができる凛にとって一階分の高低差を飛び降りるなど造作もないことだった。
     ビルの屋上に降り立ち、目線を前に向けると、レナはすでに非常扉を開けて中に入っていた。
     せめてもの時間稼ぎのためにと、レナは必死で重い鉄の扉を閉めようとしていたが、古いビルで建てつけが悪いのかゆっくりとしか閉まらない。
     凛はレナに向かって疾走する。
     その脚は魔術によって強化され、凛をレナの元へ文字通り風の速さで運ぶ。
     レナは追いつかれまいとすべての力を振り絞って扉を引っ張る。
     もう、あと少しで凛の手が届くというところで、扉は突然バタンと盛大な音を立てて閉まった。
     それはただ、扉が閉まっただけのことなのか。
     それとも、レナの心のそれも重々しく閉じられてしまったのか。
     凛が扉に飛びつき開けようとするよりも一歩早く、中にいるレナがその扉に鍵をかけた。
     レナはそのまま転がるように階段を下りていく。
     凛は扉から離れるとビルの入り口があるであろう方向に走り、屋上からレナがビルから出てこないかしばらく見ていたが出てくる素振りがない。
     もし出てくれば先ほどビルからビルに飛び移った要領で地面に飛び降りて追いかけたほうが早いのだが思惑通りには行かなかったようだ。
     再び扉に駆け寄ると、ためしに扉に体当たりしてみるが凛の軽い体がぶつかった程度でどうこうなるような様子はない。
     凛はドアノブに空いた鍵穴の部分に指を押し当てると短く呪文をつむぐ。
    「紫電よ、走れ」
     指先から凛の魔力を糧に生まれた高電圧の電流がほとばしる。
     元来電気とは途方もないエネルギーを備えたものである。
     その電流を強制的に連続で流すことによって、鍵となっている鉄塊を電流が流れることによって生まれる熱エネルギーを使って無理やりに焼き切っていく。
     その熱が扉にまで移り異常な熱気を放つようになった頃になってようやく、扉がわずかに動いた。
     すぐさま凛は扉を開くと蛍光灯もない真っ暗の階段を下り始めた。

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